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EIZO主義

脈々と流れ続けるDNA。そのヒストリーを紹介しよう

iconそれはヨーロッパから始まった1980年代

脱下請け。自社ブランドに命運託す

EIZOの歴史は日本が高度成長の好景気に沸く1968年に始まる。当時の事業はCRT(ブラウン管)を使用する映像機器のOEM生産であった。そのCRTは白黒テレビをはじめ、魚群探知機、流行のアーケードゲームなど、さまざまな製品に使われた。その後、日本が着実に経済成長を遂げる中、EIZOも順調に業績を伸ばしていく。1981年には現在地に新工場を建設し、一層の飛躍を目指した。

大きな転機が訪れたのは1985年のことである。この年、EIZOでは自社製品の第一号として12インチのコンピュータ用CRTモニターを開発、量産をスタートしたのだ。現在へと連なる「EIZO」ブランドの誕生である。17年に及ぶOEM生産を通して、技術やノウハウを蓄積、業績も堅調に伸びていたとはいえ、業態はあくまでも下請けに過ぎなかった。そのままでも事業継続には困らなかったかもしれない。しかし、市場の声を聞く機会もなく、言われるがままに製品を作るだけの下請けでは、目も耳も持たないまま、暗闇を歩くようなビジネスだ。将来を見据え、さらなる発展を遂げていくためには、自分たちの手で自らの針路を決められる自社ブランドの製品を開発し、市場で勝負したい。創業以来のそんな悲願が、ついに実現したのだ。

EIZOブランドが最初の販売先として狙いを定めたのはヨーロッパ市場である。当時、日本のパソコンメーカーはハードウェアやOSの仕様を公開していなかったため、ユーザーはどんなに高品質のモニターを手に入れても、自分で解像度を上げたり、手を加えたりすることができなかった。こうした環境では高品質というEIZO製品のメリットが活きてこない。そこで、目を向けたのが海外市場だった。中でもEIZOが選んだのは、品質重視の風土が根付くヨーロッパ市場である。また、多くの国がひしめくヨーロッパでは各国の定める規格に準拠した製品を用意する必要があり、こうした市場の特性も参入を後押しした。大手メーカーにとっては手間がかかる割に旨味の少ない市場だからこそ、商機を見いだせると考えたのだ。ヨーロッパでの販売開始から5カ月後にはアメリカでの販売もスタート。ヨーロッパ向け製品とは仕様や価格が異なるため、アメリカ向けは当時の社名ナナオに由来する「NANAO」ブランドで展開した。

今でこそ、高品質のモニターとして確固たる地位を築き上げたEIZOブランドだが、その滑り出しは決して順調とはいえなかった。例えば「画面が歪んでいる」「フォーカスが甘い」「1台1台の画面の位置や色合いが違う」など、販売当初は、実にさまざまなクレームが寄せられた。当時の通信手段ではクレームの内容が詳細に分からなかったため、その都度、社員が現地へ飛んで要望を確認、その上で対策を施していった。こうした対応を重ねるたび、徐々に、そして確実に品質は向上した。CRTモニターの品質向上にあたって、鍵を握ったのは出荷前の最終調整だった。どんなに優れたCRTを使って、どんなに優れた回路を組み込んだとしても、最高の品質が得られるわけではなかった。海外から求められる厳しい品質水準を満たすため、熟練した作業者が1台1台にきめ細かく手作業で調整を施した。このような対応の積み重ねがEIZOブランドの足腰を鍛えたのである。

 

icon不動のブランド力を形成1990年代

新商品を続々開発。時代は液晶へ

ヨーロッパでの販売はEIZOブランドに新たな付加価値をもたらした。その最たるものがエルゴノミクス(人間工学)に配慮した製品開発である。世界で初めて電磁波対策を施したCRTモニターはその好例といえるだろう。開発のきっかけとなったのは、1990年代初頭にスウェーデンから送られてきた次のような情報だった。「CRTから出る波長の長い電磁波が人体、特に妊婦に悪影響を与える」。スウェーデンの労働組合にいたっては、電磁波に関する規格をクリアした製品でなければ国内の事業所では使用を禁ずるとの方針を打ち出した。当時の日本には電磁波の影響に関する情報はほとんどなかったため、EIZOはスウェーデンに社員を派遣して詳しい情報収集に当たり、対応を検討。そして、他社に先駆けて電磁波対策を標準化した製品の開発に成功した。スウェーデンはエルゴノミクスの先進国であり、ヨーロッパの他の国々やアメリカには電磁波のリスクに関する情報が広まっていない時代である。EIZOは時代を先取りした商品の開発によって、その後、他の国々においても電磁波の影響について啓蒙しながら、自社製品の優位性をアピールし、ブランド力の向上と販売促進につなげていった。1992年、スウェーデンに現地法人を設立したのもこうした背景があったからである。

海外市場での高い評価を引っ下げて、国内市場へと凱旋を果たしたのは1991年のことだった。このころになると高品質のモニターに対応するパソコンが国内でも出回り始め、海外から逆輸入されたEIZOブランドのモニターが評判になっていた。検討を重ねた結果、国内市場ではアメリカ向けのブランドネームである「NANAO」を採用した。しかし、それから5年後の1996年、「EIZO」と「NANAO」という二つのブランドを「EIZO」へと一本化することになる。当初は市場の特性を考慮し、ブランドを使い分けたものの、この時代になるとグローバル化が進展し、そのメリットがなくなっていたからだ。例えば、世界中に拠点を持つグローバル企業となれば、機材を購入するにも、本社がお墨付きを与えた製品だけが購入対象となる。であれば、世界中どの国でも同じブランドネームで展開する方が、購入する企業にとっては利便性が高いというわけだ。

品質の高さだけでなく、パソコンの普及、進化に合わせて、ユーザーが求める商品をタイムリーに開発、提案していったこともEIZOブランドが高く評価される一因だろう。その好例といえるのがCRTモニター「9070S」である。当時、モニターといえば最大でも14インチといった時代である。一方、「9070S」は大きさが16インチかつ、他の製品よりも高い解像度を誇った。既存製品の一歩先を行く画面サイズと解像度は市場の大きな反響を呼び、このモニターは大ヒットを記録した。このように、EIZOが次々と新製品を提案できた要因のひとつに、世界中の一流メーカーと協力し合って主要デバイスを作り上げていく開発体制にある。すべてのデバイスを自社で作っていてはとても多くのラインアップをそろえることはできない。そこでメーカーとタッグを組み、新たに開発されたCRTや液晶パネルをEIZOが評価し、改善要望をフィードバック。こうしてブラッシュアップしたCRTや液晶パネルを「EIZO」の新製品に採用したのだ。メーカーにとっても高品質で知られるEIZOの評価は大きなアドバンテージとなる。こうした関係が新製品を続々と世に送り出す原動力となった。

1997年には、いち早くコンピュータ用の液晶モニターを開発し、販売に乗り出した。当時は、1台1台手作業で調整を加えて品質を維持したCRTと違って、液晶モニターはデジタル部品の固まりであり、同じ部品を使えば同じ品質になると考えていた者も多かった。しかし、実際には液晶モニターの品質管理はCRTよりも困難を極めた。これを可能にしたのが、ASIC(エーシック)と呼ばれる画像処理専用のプロセッサである。EIZOでは、以前よりいずれは液晶の時代が来ると考え、ASICの開発に注力。このASICへのこだわりが、液晶モニターの時代になってもEIZOブランドの競争力の源泉となっているのだ。

 

icon未知なる市場を目指して2000年代

医療やクリエイティブワーク分野に参入

2000年代に入ると、EIZOブランドの新分野への進出が加速する。まず、2000年には医療機関で活用される医用画像表示モニターの開発チームを立ち上げ、MRI(磁気共鳴診断装置)やCTスキャン、レントゲンなどの画像を映し出すモニターの開発に取り組んだ。この分野では既にいくつかのメーカーがしのぎを削っており、後発組の参入、シェア拡大は容易ではない。しかし、医療の現場でもフィルムからモニターへの転換期が始まると同時に、医療機器のデジタル化の進展によって高性能モニターの需要が高まっていたことから、十分に参入の余地があると考えたのだ。

これまで製造してきたカラーモニターと違って、医療の世界で求められるのは白黒のモニターである。しかも、モニター上でレントゲンなどの医用画像を見る医師にとって、診断の拠り所となるのは、黒い部分の微妙な差異である。これをいかに正確に表現するかが腕の見せ所だ。当初は少人数で始めたプロジェクトだったが、一度事業を始めると全社が一丸となって開発に取り組み、元画像をよりきめ細かく忠実に表現できるモニターを作り上げた。また、長期にわたって使用しても輝度や階調が常に一定に保たれるようモニター自身が自動的にそれらを測定、調整するキャリブレーション機能を盛り込んだ。その結果、現在では、かつてこの分野で世界のトップを独走していた企業に肩を並べるまでに成長した。

2003年には印刷・出版や広告制作を手がける企業のほか、グラフィックデザイナーやカメラマンなど、より正確な色の表現を必要とするハイエンドユーザーを対象としたカラーマネージメント液晶モニター「ColorEdgeシリーズ」の販売をスタートした。このモニターは従来製品に比べ、より多彩な色合いやより細やかな色の階調を表現できるのが特徴だ。例えば、印刷会社がこのモニターを取り入れれば、モニター上で印刷時の色合いを確認することが可能になり、コストや納期の短縮につながる。当時はカラーマネージメントという考え方自体が普及しておらず、注目度も決して高いとはいえなかったが、営業スタッフがモニターとパソコンを手にクリエイティブの現場に足を運び、カラーマネージメントという考え方をダイレクトにPR。IT化の進展とともに徐々に導入する企業が増え、先に述べたような業界のほか、ハリウッドの映像制作の現場でも採用されるまでになった。また、デジカメの普及に合わせ、写真愛好家などにも、販路が拡がっている。

2007年以降、航空管制用モニターの展開にも力を注ぐ。この年、EIZOは航空管制用のグラフィックスボードを開発・製造するテックソース社(アメリカ)を買収。航空管制用モニターは特殊な技術が求められる分野であり、テックソース社のノウハウとEIZOの技術力の相乗効果によって、より高品質な製品開発を可能にした。また、企業買収による競争力強化といった点で、この年はもう一つ大きな動きがあった。それはドイツの総合電機メーカー・シーメンス社からの医療市場向けモニター事業の買収である。シーメンス社が得意とするのは、MRIやCTスキャン、レントゲンなどの医療画像撮影装置分野である。それまでEIZOが主力としてきた分野とは異なり、新たな技術を取り込むことで、医療市場におけるEIZOブランドの存在感が一層高まっている。

 

iconモニターメーカーからの脱却、挑戦はまだまだ続く2010年代

グローバルな開発、製造、販売体制を構築

2010年代は、これまでとは違った意味でEIZOブランドのグローバル化が進む10年となる。ターニングポイントとなっ たのは、先述の2007年のシーメンス社(ドイツ)からの医療市場向けモニター事業の買収と、テックソース社(アメリカ)の買収である。これによって、EIZOは 海外で初めて開発、生産拠点を有したことになる。そして2010年には、中国・蘇州市に医療市場向けモニターの生産、販売拠点となる子会社を設立した。とはいえ、中国に生産拠点を設けたのは、決してコスト低減だけが目的ではない。目覚しく発展する中国には、独自のニーズがある。そういったニーズをいち早くキャッチし、現地で安定的に製品を供給するため、中国国内に生産体制を整えたのだ。

海外に3つの生産拠点を設けたのと歩調を合わせ、営業戦略も大きな転機を迎えている。EIZOブランドの立ち上げ以降、海外販売は基本的に現地の代理店経由で行ってきた。しかし、海外大手メーカーとの取引が増えたことに加え、医療市場や産業市場ではユーザーのニーズにきめ細かく応えながらビジネスをする必要があるなど、中長期的な視点に立った営業活動が不可欠になってきた。そこで、2011年にドイツとイギリスに販売会社を設立。既に稼働しているアメリカ、スイス、スウェーデン、中国のグループ会社と合わせ、EIZOが最前線に立って販路拡大に取り組む営業体制を構築したのだ。こうした取り組みの成果ともいえるのが、大型船舶用のモニターの開発である。これはエンジンルームのコンピュータ制御やECDISと呼ばれる電子海図表示システムに用いられるモニターであり、2012年に初出荷を迎えた。

さらに、2013年4月、EIZOは旧社名ナナオとブランド名を統一し、「EIZO株式会社」として新たなスタートを切った。これは世界共通のブランド名を冠することでグローバル市場での競争力をいっそう強化するとともに、今後も映像技術をコアとしながら成長を図るという意思表明である。その意志のもと、2014年10月には手術室向け映像ソリューション事業の本格参入を発表。今後はこれまで得意としてきたハードウェアだけにとどまらず、ソフトウェアやネットワーク、時には自社製品以外も含めたソリューションとしてユーザーの求める映像システムを提案していく。

2018年3月には創立50周年を迎え、次の50年に向けて新たな一歩を踏み出した。従来からの強みであった「表示」分野にとどまることなく、「撮影」「記録・配信」をも包括的に提供する体制を構築したのだ。すなわち映像のインプットからアウトプットまでを手がける、まさにVisual Technology Companyへとまた一歩進化した。

日本で開発、製造したモニターを海外に販売する時代から、グローバルに手がけた映像ソリューションを世界中に展開する時代へ。活躍の舞台は驚異的なスピードで拡がっている。ユーザーを感動させる優れた製品の開発を目指して──。EIZOブランドの挑戦はとどまることがない。